FHB誕生の歴史 ~Chapter 3~
2022年も気づけばもうすぐ夏至。
今年の前半はどのような年でしたでしょうか?そして、後半はどのような毎日を送りたいですか?
スマートフォンでも時間はわかりますが、手元のお気に入りの時計を見ながらゆったりと時の流れを感じるのも、心が豊かになる気がします。
さて、本日はFHB誕生からその後現在に至るまでを綴ります。
クォーツショック ~デザイン画の封印~
1969年アポロ11号が人類月面着陸に成功すると同時に、クオーツの腕時計がついに日本から発売される。その後、特許が公開されアジア諸国を中心に急速に腕時計の大量生産と低コスト化が進む事となった。
機械式時計を中心としたスイスの小規模工房にとって、このクォーツショックが打撃となり多くの工房が廃業に追いやられるのであった。
この時期、FHBをデビューさせる時期としては適切ではないと判断したフーバー氏はこのデザイン画を封印し倉庫に保管。そしてそのままそれらは40年もの間、忘れられていた。
機械式時計の再燃とFHBの復活
1980年代、精度としての時計ではなく、文化もしくはステータスとしての腕時計が見直され、衰退していたクロノメーター時代の著名工房や巨匠時計師などが、大資本の元、復活。
最先端技術を駆使しより複雑に進化した新しい機械式時計を次々に発表し、超高級腕時計マーケットが新たに誕生。第二次機械式腕時計ブームが巻起こった。
1995年、フーバー氏は、この流れに乗りZENO-WATCHの新しいシリーズの機械式時計をバーゼルフェアで発表したところ、突然世界から注目を浴びる。
この突然の大成功による社屋の規模拡大のため倉庫の整理をしていたフーバー氏は、40年前の宇宙事業に湧く時代に自らが手がけたデザイン画を倉庫の片隅に発見し、これがきっかけとなりFHBが誕生した。
40年もの時を経て機械式の時計として手がけていたクラシックデザインは、フーバー氏と100年以上の歴史があるスイスの工房によりクォーツ時計として、今ここに復活する。